長男が「百姓がしたい」と言い出し、草一本抜いたことのない私が息子のパートナーになろうと、百姓仕事を始めたのが1993年のことです。
明けても暮れても畑に通い、薬局には泥だらけの地下足袋で立ったこともありました。
やがて畑に種をまき、芽がで始めると、驚いたことにそれが一晩で虫に食べられてしまったのです。そして、きれいに草取りをしても畑には次々と草が生えてきます。私は当時、畑で幾度も虫や草と闘いました。
しばらく頭を悩ませていた私はある日、この畑のいのちすべてを自分の所有物だと思い、自分が自然を敵にしている事に気が付きました。自分を傲慢な侵略者だったと絶望し、涙があふれたのです。
それからは、もう一度畑と真摯に向き合う事を決めました。
虫も生きていればお腹がすく。葉っぱは虫の大切な食べ物だったとその時畑から学びました。
虫や草と共に生きる農法に気付くのに五年かかりました。不思議なはなしです。
生前父・郷田實が、「美紀子、あの自然の山が誰も耕さず肥料をやらないのに、毎年毎年たくさんの木の実をつける自然とは素晴らしいものだなぁ」と言っていた言葉が腑に落ちるのにこれほど時間がかかったのです。
畑に生える草は、その季節を過ぎると枯れて次の命にバトンを渡し、自らは土の肥しになります。
そして他の花と比較することなく凛と咲く野の花には、感動すら覚えます。
小さかろうが目立たなかろうが、それは人が決めることで、本人たちはお日様や自然の恵みに感謝して、一生懸命です。それも自分のためではなく、次のために実を結ぶように今を咲いているのです。
黙々とその一生を生きる草や野花を見て、草ほどにもない自分を恥じ、また草のようでありたいとおもうのです。
自然の中にいると教えられることがたくさんあります。
畑で色々なことを考え、学ばされるうちに、薬剤師として患者さんを見るときの視点はブレず深まっていったと思うのです。
それは足元が固まり根が張ってきて、少々の情報の風には揺らがない自分になってきたからだと感じます。
私にとり、患者さんは一人の病んだ「植物」に見えるのです。畑で病気の野菜があったらその葉や茎だけを見たりはしません。必ずその野菜の「根っこ」と、根を張っている「土」をみます。そしてそういう土になったまわりの環境をみます、肥料をみます。
同じようにその患者さんが日常どんな考え方をされているか、どんな食べ物を口にされているかを時間をかけてお聞きします。
病気になられた理由のほとんどが、このあたりに有るように思えるのです。自分のことを含めて、病気は遺伝や伝染病でない限り、自分自身がつくってきたもののように思います。もっと言うなら、社会そのものが作ってきたと言えるかもしれません。
私たちの国は飽食と言われるほどの食べ物であふれています。
そしてあれが良いこれが良い..と次から次へ新しい情報であふれています。情報の風にあおられて生きている姿勢そのものに大きな問題があるのではないかと思えるのです。
答えはいつも自分の足元にあるのです。
講師:北条 直樹
赤目自然塾で川口由一氏に5年間師事。
いのち塾主宰
綾で自然農を実践指導し今年で10年。
場所:郷田自然農園
お問合せ:0985-77-0045
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